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自分の拒絶する事が、問題となって現われている

受け入れられない物、事、人を多く持てば持つほど、その方の人生は厳しいものになります。

拘りが多い人は人生の不幸が多いのです。拘らない人ほど、楽に生きれる。

文字にすると、「そんなの当たり前じゃないか」と「自分は出来てるからスルー」的な解釈をする方が多い様ですが、拘りを手放す事が出来る方はほとんどいません。

小さなことにまで、「それはこうだからおかしい、こうでないと」と拘り、対立していく。

うまく生きられないのは、どなたにも今までに培った自分の価値観、自我、エゴが存在するからです。

「こうでなくてはいけない」とは、縛りです。つまり制限。人は価値観という制限で、自分で自分を何重にも縛っています。

「こうではくてはいけない」つまり「こうであると考える」とはすなわち定義です。空の状態から、「こうである」と定義したとたん生まれてしまうのが善悪、白黒の分離した二極化の世界です。

「いけない」と定義した世界にだけ、善悪や上下が生まれ、裁きが生まれるのです。責めが生まれるのです。

「こうでなくてもいい」とは制限のとれた自由自在な状態。この世界には善悪が無く、責め裁く心も生まれないのです。人はもともと自由自在な存在でした。

この宇宙には「こうでないといけないこと」は何一つありません。もともと、良い事、悪い事は無いのです。全てが中立、均等、ニュートラルで、物事はただそうあるだけなのです。

全ての物が、等価値です。ですから、自分が拒絶する事が問題となって現われてきます。

それは、自分が受け入れるまで、その問題は続きます。不幸やトラブル、苦労や病気は続きます。

職場を変えても、付き合う人を変えても、環境を変えても、同じような問題が続きます。受け入れるまで続きます。苦しめる為ではありません。手放す為にです。

拘りを手放し、こうでなくてもよいのだと、否定していた自分自身を赦す実践が求められています。自分を赦せた人が他人を赦す事ができます。これは年齢を重ねた人ほど、難しいのですが、出来るできないは分かりませんが、方法はあるのです。