灯庵整体ストレスセラピストの竹ノ谷です。
整体師であり、産業カウンセラーなのですが、ストレスセラピストと名乗ってます。
なぜに、ストレスセラピストなのかを簡単な経歴と共にご紹介します。
生まれも育ちも川越です。一時学生時代にシドニーに住んでおりました。それもかれこれ30年前のこと。
目次
ボディーボードで通ったボンダイビーチ
ホンダXLR250Rで往復何回したか、ハーバーブリッジ
将来になりたいものも無く、あてのない留学でした。でも毎日が自由でした。愛車ホンダのバイクで街を駆け巡っていました。
このころから、いつまでも学生気分ではいられない。立派な社会人にならなければと思い、「人生には何かすべきことがある。いかなる道を踏むべきか」と悩み始めるのです。ここから長い長い自分探しの日々に突入していくのです。
自分には、何かすべきことがあると思っているのだから、もう見つかるまで探しに探しました。例えば職業。
これだと思えないから転職。しっくりきていない職業だと不安になる。
周りからは、1つのことを続けられないやつは駄目だと烙印をおされ、その考えを認めれば、自分を責める。認めなければ、反発して相手を責める。どちらも共に許せないことだから悶々としていました。
そんななか、運命の出来事が起るのです。
臨床検査の会社に勤めていた時の事です。
ちなみに臨床検査会社とは血液や細胞組織
などの成分を検査し、異常が有るか無いかを調べる会社です。
定期的に病院を廻り、検体を集めて社に持ち帰るのですが、朝霞のある病院の
ナースステーションでの出来事です。
いつもと変わらないナースステーションでした。その日は重病の患者さんが入院されていて、
その患者の心拍数と血圧がナースステーションで常に分かる様にトランスミッターという
装置を付けて、モニタリングしていました。
ぴっぴっぴっ・・・と、規則正しく心拍数を伝えるモニターの音をききながら、いつのもように
そばにいたナース達とおしゃべりをしながら、持ち帰って検査する分の検体をチェックしていました。
時間は夜の7時くらい。
夜たっだので、患者さんの夕食の時間は終わっていてあとは消灯を待つたけ。ドクターは医局と
呼ばれる待機部屋で待機していたので、ナースステーションは私と夜勤のナース3人だけでした。
ナースコールも無く手の空いていたナースと話していた時のことです。
先ほどから聞こえるモニターの心拍数の音が乱れてきたのです。
ピッピッ・・・ピピ・・・・・・ピッ・ピッピッ・・・。
不整脈です。画面を見ると血圧も下がっている。
少し不安に思いながらもナースを見ると何の動揺も無く、笑っていた為
内心「この位は、大丈夫なんだな」と思いながらおしゃべりを続けていました。
しばらくすると、だんだん心拍がゆっくりとなってきたのです。
ピッ・・・ピッ・・・・ピッ・・・・・・・ピッ・・・・・・・・・・・・・ピッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?アレ??
アレアレ????
音が鳴らないぞ???
そして、ついに、ピーーーーーーーー!!キター
あってはいけない、心拍数ゼロです!!!!!
震えました。
その患者さんはナースステーションの目の前の部屋で、
私の位置から丁度そのベッドが見えていました。
その時でした。その心拍ゼロの音と同時に、
今まで私と笑いながらおしゃべりをしていた優しい性格のナースが一変、
かっと目を見開いたと思うと鬼のような形相となり、蘇生に必要な機材を両肩に担ぎ、
一目散に患者のベットへと向かって行きました。
ナースが菩薩から鬼となる瞬間を目撃してしまったのです。
他のナース達もそれぞれ機敏に処置の
行動に走り、廊下の向こうからは白衣の前をはだけたドクターが小走りに飛んでくるのが
見えました。
一人、何も出来ず取り残された私・・・。
今、目の前で起こっている事は命のやりとりです。非常に厳しい命の現場。
それに向き合うドクターやナース達。
皆がベットを取り囲み一生懸命に死に立ち向かい、
体を張って生に繋ぎとめようと戦っている。
「ああ、これが命の尊厳というものなのか・・・」
雷に打たれたような強烈な衝撃でした。
ナースやドクターには威厳さえ感じました。それに引き換え私は何も出来ない。
情けない事にあたふたとして固まったままボーっと立ちすくしてました。(笑)
私も皆と一緒に蘇生に協力したい。
何でもいいから手伝いたい、けれど何一つ出来ない。
そこに居たのは、スキルの無い無力な私でした。
こういう時に何も出来ない自分がとても情け無く感じたのです。
この時からです。私の中に整体セラピストになる憧れが蘇ってきたのは。
私は16の時からの少林寺拳法修行で慣れしたしんでいた東洋医学
整体の道で頑張ろうと思う様になっていきました。
私タケノヤは今も西洋医学に従事されているナース、ドクターの皆さんを尊敬しています。
大変厳しい現場ですが、皆さんそれに立ち向かう素晴らしい職業です。
人材不足でハードワークで、長い時間拘束にも係わらず、
「医療は直接の人助けだから」と言って笑っていた看護師の顔が今も心から離れません。
この一言は今も私の支えです。
そして、あの時起こった命のやり取りの現場に今でも感謝しています。
私を整体ストレスセラピストの道へ向かわせてくれました。
この整体という道で、西洋医学をもってしても、なかなか良くならない、うつ病、パニック障害、脅迫性障害、腰痛、肩こり等を、改善へと導くお手伝いが出来る事が、ストレスセラピスト・タケノヤの至極の喜びなのです。
今では沢山の看護士や医療従事者、医師の方にもご来院していただけます。
そんな時、心はあの日の命の現場にフッと帰り、
やっと今皆と一緒に現場参加出来ている様な、そんな気持ちです。
私にとってかけがえの無い時間、それがストレスセラピー。
あの日を思い出せば、心がびしっと引き締まります。
あの日を思えば今、整体セラピストが出来てとても幸せです。
あの気を思えば、心が優しくなります。
あの日を思えば、大変とは思わない。
患者さん一人一人の施術が、真面目に喜び一杯です。
もちろん私一人先生での施術なのですが、
私は空想の中で、あの日の皆の声を聴きながら、
私を指導してくれる天の声を聴きながら
ワイワイと協力して一緒に施術しているつもりなんです。(笑)
ご興味ある方は是非そんな灯庵整体へお越し下さい。
皆と一緒に、ご縁の在るあなた様をお待ちして居ります。
良きご縁に感謝します。
庵主拝