薬を使わずに、精神疾患を改善する、メンタルストレス専門整体        どこへ行っても治らない精神疾患の方はご相談マストです。

自分で自分に制限かけない

外国に住んでみると、改めて日本の素晴らしさに気がつくことがあります。

きめ細かいサービス

時間に正確な交通機関

24時間やっているコンビ二やスーパー

夜中に女性一人で歩ける治安の良さ

工業製品のクオリティの高さ

地酒や郷土料理の豊富さや、世界中の料理を堪能できる

歴史的建造物の多さ

鳥居

落し物の70パーセント以上が本人に戻り、地震で崩壊した地域での盗みや略奪が起らないなど世界からみても驚愕されることも数多くあります。

世界的にみても、経済国家であり、所得も高く、失業率も低く、人々の芸術的なセンスも高く、知的所有権も守られていて、工業製品も豊富で、グルメも堪能できます。

そんな日本ですが、疑問に思うことがあります。それは、

なぜ日本人は幸せを感じにくいのか?

世界的に見ても日本人の幸せ満足度は非常に低いのです。幸せ度は所得の高い低いに関係がないのです。

これは、一般家庭においても同様で、結婚したからといっていつまでも幸せなカップルでい続けることができにくく、日本は世界一のセックスレス国なのです。

サラリーマンは電車の中で疲弊していて、自殺率は世界でも高く、「仕事をやめればよいのに」という意見も多い中、発生してしまう過労死事件、うつ病や心の病気、どうしてこんなにもこの国は、生き難さを感じてしまうのでしょうか?

その理由はなぜなのか?

世界一の道義国家、人々の心を縛る決め事

規律、マナー、ルール、道徳、人として、皆さんそうだから、という総ての決め事。

これらは、誰が誰のために作ったのでしょうか?

「昔の人が、人のためにきちんと社会の統率がとれるように作った」と思うと思います。

そうです、統率が取れるようにとは、少なくとも支配者が支配される人のために作っていったのではないでしょうか?

支配者と支配される物がいるという、上下の価値観、白黒の二極に分ける価値観からの発生したものという要素が強く、効率よい搾取の為に作られたのかもしれません。

何十年も何百年もその中にいると、やがてそれが大衆的、社会的価値観となり、あたかもその様なルールや規範が無いと社会が崩れてしまうと思ってしまっているのではないでしょうか。

ルールが無いと、社会が成りたたないという価値観は本当?

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当たり前の価値観を疑う

 

人の物を取ったら犯罪ですよね。

でも、どうして人の物を取ったらいけないのか。人の物とはどこからなのか?山の石は人の物?空気は人の物?温泉は人の物?田んぼのあぜに生えているクレソンは人の物?

人の物かそうでないかは「所有権」という権利で決められています。所有権の侵害が窃盗罪という罪です。つまり、所有権がない物を取っても罪にはならない。

所有権とは誰が決めたのでしょうか。それは人間が決めた人間の為のルールです。猪が畑を荒らしたからと言っても、動物には適用されない。人間も猪も同じ自然界の動物です。ヤドリギなどの寄生して他の養分を奪う植物があります。これが裁かれないのはなぜでしょうか?人間も植物も自然界の一部なのにです。

人間のきめ事やルールは、宇宙の真理ではない

人が作った基準や規範は、宇宙大自然の法則ではないということです。きめ事は、人を制限する物として作られています。人の自由を制限するために総てのきめ事が作られています。

決め事とは制限であり、人間とは本来、自由自在な存在

所有権のない村

ここで1つお話を。それが所有権の無い村です。

アフリカの1つの村の話なのですが、そこには所有権というものがありません。
「村の物はみんなのもの」個人の物ではありません。ですからもともと所有権がない。

たとえばAさんがノコギリを使いたいと思ったとします。するとAさんはBさんのお宅に勝手に入って、断り無く勝手にノコギリを取ってきて使い、自分の家においておいて良いのです。なぜなら、村の物はみんなのものだからです。

実は他人の家、自分の家というものもないので、村の家はみんなの家です。ですから勝手に入っても不法侵入罪にはならない。つまり、所有権というルールがないので罪人を作らない。人間が決めた所有権が悪と正義を作っているのです。

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この村は、崩壊しないどころか、こんなメリットまであります。魚とりが上手なCさんが漁にいきました。そこで魚を取って帰ってきました。すると噂を聞いた村人が、こぞってCさん宅へ駆けつけて、自分の分を勝手に取って帰るのです。

Cさんももちろん、捕った魚は自分の物ではなく村人全員の物ということをわきまえているので、村人の人数分だけ捕ってから漁から帰って来ている。

大工の得意なDさんは、村人の家が壊れたら無償で直しに行きます。
なぜなら、村の家は、みんなの家だから。

このように村人全員が、無償の奉仕でお互いのことを思いながら動いている。

所有権がないと崩壊しないどころか、この村は非常にうまくいっているのです。

決め事が無いと崩壊すると思っているだけ

決め事をやめても、大丈夫なのです。崩壊どころかうまくいく。

日本人は規律や決め事が多いので、自分で自分を制限し、善悪が存在するという2極的価値観から、善にならなければならないという、宇宙の真理からは外れてしまった、規律やルールを外国人よりも多く持って生きています。

これが、生き難さの正体です。ここにまずは気付くこと。

善で生きようとすると、悪を見ることになります。本来物事にいいとは悪いは無く、その現象がただ在るだけ。価値観を持ち、そのジャッジにより善悪が発生していく。決め事を受け入れると必ずそこに黒を見つけて、矛盾を見つけて、悶々としてしまうのです。

丁寧に決め事を手放していけば、自由自在な存在となり、日本に居ながら、この村の人のように幸せを感じて生きていくことができます。

決め事が悪と善を作っている、善悪の裁きはそこからはじまる

価値観を手放す事、価値観を壊すこと、決め事をやめること、制限しないこと。

このような話を聞くと「私は出来ている」と思う方は要注意です。出来てるブロックが働いてしまい、手放せなくなるのです。

特に、スピリチュアル系の人は注意が必要です。手放せない人のほとんどがスピ系や宗教系の人達。自分では気がつかない決め事が1000も2000もあるのです。

うつ病や不安神経症の方々もなかなか手放せません。

自分を咎めずに、自由自在に生きていくのが本来の動物(人を含めて)です。