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自己否定せず、制限を解除する

他人に対してイライラしてしまう人は自分が許せない。

子供がうるさくするのでいけないとついつい怒ってしまう。あるいは怒りはしないけど、なんとかなだめすかし子供を静かにさせようとして、静かにならない子供にイライラしてしまう。怒ってはいけないし、怒鳴ったりするのは良くないから子供になかなか注意が出来ずに疲れ果ててしまう。

そんな悩みを持っているお母さんは多いのです。皆さん何かしら当てはまると思います。

この場合、どうしてイライラするのかと言うと、お母さん自身の心に「うるさくするのはいけない」という価値観があるからなのです。子供さんの問題ではありません。目に見える世界は自分の内側の投影です。お母さんの心の内側にうるさい=いけないことという否定の気持ちがあるから、悪い子供に見えてイライラするのです。

まず考えていただきたいのが、うるさいのはいけないことでしょうか?という一点です。

我々は、小さい頃から親に、「人前では静かにしなさい」とか「おとなしくしなさい」とか「騒いではいけないよ」と言われて育ちます。小さい頃、親というのは絶対の存在です。子供にとって非常に大きな存在です。その大きな存在を疑うということはありません。

純粋無垢な子供は、親の言うことは、全部そのまま本当なんだと信じてしまいます。

うるさくしたら=いけないよというのは、繰り返して刷り込まれた価値観で、実際本当かどうかは一度も考えてみたことが無いのではないでしょうか。

誰もが、まだ小さかった時に、親や社会からこのような制限や社会に適合する為の条件付けを受け取り、疑いもせずにそのまま信じてしまいます。やがていくつもの価値観を身につけがんじがらめに自分を縛り付けていくのです。

自由自在な自分を取り戻す

「うるさいのはいけない」たしかにそういう場面もあるかと思います。電話をしているときに聞こえないくらいに騒ぐ子供達、図書館で泣き出す子供など、一見悪い子が存在しているように見えます。

しかし、うるさいのはいけないとなっているから、イライラしたりなだめすかして疲れたりするのです。「うるさくても良いのだ」と思えないから辛いのです。

うるさくすることに良いも悪いも本来ありません。車のクラクションがうるさくなかったらだれも危険に気がつきません。祭や飲み会が静かだったら、発散できずに盛り上がらないでしょう。にぎやかだから良いことも多いのです。観光地やレストランなどはみながやがやとにぎわっている方が良いのではないでしょうか。


うるさいことは悪いことではなく、良い面も50%あるのです。悪さも50%です。逆に静かな事は良い面50%で悪い面50%です。1つのコインの裏と表ですから、どっちが良くてどっちが悪いはなく、言いと悪いがお互い50%づつあるのです。つまり等価値なのです。

すべての現象はこのように、いい面と悪い面がフィフティーフィフティーの等価値なのですが、人は身に着けた価値観により、いい事と悪いことがあるのだと錯覚しているのです。本来どちらでも良いことなのです。

上下観、善悪観が自己否定になる

物事はこうであると定義した瞬間に、そうでないもの(悪)が生まれますこれは一対ですのでコインの裏と表です。善だけ得られるものではありません。

定義したら、善と悪が生まれるので、この悪をいけないことと捉えて、撲滅しなければと戦ってしまうのです。これが、自分の中にある制限、つまり咎め(自己否定)です。

~したらいけない、こうしたらいけない、ああしたらいけないと、規律や常識や道徳で自分自身を制限して、がんじがらめの不自由な自己否定者が誕生するのです。

人間とは本来、自由自在な存在だったことを思い出してください。

自己を否定せず、一回一回自分に制限解除の許可を与える

このように自分を制限する定義が、一般常識や道徳観です。

ですから、今まで常識としていた事を手放し、開放していく必要があるのです。自分の中のいけないとして自己否定していること(咎め)を一つ一つ解除して手放していくのです。

偏った価値観をニュートラルにしていく事です。いい悪いではなくて、どちらも良いと思えるまで、等価していきます。言いも悪いも両方とも同じ価値なんだと思えるまでニュートラル化していきます。このニュートラル化には方法が在りますので、お尋ね下さい。

咎めを外して、ニュートラル化し自由自在な自分にしていくことが、これからの時代を生きる上で重要なのです。二極に分かれた価値観を統合させていくのです。

今までは、地球のルールに従う子供達が生まれていましたのでよかったのですが、今の子供達は、地球のルールを変えるために生まれてきています。ですから古い条件付けを植えつけようとしても絶対に受け付けません。

本当は親こそ子供に学ぶのです。咎めを押し付けていては自分が苦しみます。