縛られるのがお好き!?
外国を旅していると、数多くの独特の日本人の偏った価値観に気がつかされます。
たとえば仕事で、日本では60歳定年はあるけれども、外国には定年の概念はありません。自分の意思で働けるまでやれば良いのです。決められた年になったら、リタイアしなくてはいけなくはないのです。
ゲストハウス(カプセルホテル)では、男女同じ部屋で若い女の子もおじさんも一緒の部屋に泊まります。おじさんと若い子が一緒では日本は犯罪者扱いですが、外国では一緒でいけないという偏った価値観はないのです。
日本の空港のカードラウンジでは無料のビールと柿の種のサービスがあるのですが、先日初老の夫婦が、そのビールと供に自分たちで持ち込んだオカキせんべいを食べていました。
すると、フロントにいたコンシェルジェが歩み寄り、開口一番、「持ち込みは禁止となっております」と注意しました。
実は私もここで昔、ネットでユーチューブを見ていて、ボリュームがもれて他のお客様の迷惑になると注意をうけたことがあるのです。
つまり、日本では持ち込んではいけないし、迷惑になってはいけないのです。でも考えてみればおかしな制限です。柿の種を食べられない人はどうするのでしょうか?
おしゃべりの声の大きさは、いけなくないのでしょうか? 日本ではこまかく節度や同義が求められます。静かにしないといけない。大人しくしないといけない。行儀がわるくてはいけない。紳士でなければならない。人に迷惑をかけてはいけない。これらはすべては得体の無い制限です。人間が作ったルールなど宇宙のルールでは無いのです。制限がないと大変なことになると思っているだけなのです。
事実、外国のラウンジでは横になって寝そべってもいけなくないし、本当に寝てしまってもいけなくありません。持ち込み飲食はいけなくないし、ラウンジ内でユーチューブを見ていけなくはないのです。そこにいるコンシェルジェ自ら、仕事中に携帯をやっていますから(笑)仕事中に携帯をしてはいけないという制限が無いからです。ですから人を裁くことは無いのです。
もし、これを読んで、あなたの心の中にもやもやする気持ちがこみ上げてくるのなら、その反応しているものが、あなたの中にある自我のエネルギーブロックです。善悪でジャッジしているマイルールなのです。
人は規律が無いと悪くなると思っているのが日本人であり、人は制限されずに自由自在であると思っているのが諸外国のようです。どちらが居心地がよいか一度考えてみてください。
世界一の制限、道義国家日本
以上のように、集団共通心理を持つ日本では、制限は留まるところを知りません。外国とはま逆です。
制限制限で人を縛っていく気質は、個人の自由を尊重することは悪とみなされる場合が多いです。自分らしさをというものを嫌うのです。ですから皆と一緒の画一的な行動を求められるのです。
行き過ぎている制限はすでに膨張を繰り返し、ぎりぎりまで膨らみ続けて、いまにもはちきれんばかりですが、大抵の日本人はそれが問題だと気がつきません。
行き過ぎの一例として、セクハラ、パワハラ、モラハラ、個人情報、コンプライアンスなどと、人を縛り上げる得体の無い制限は、きりが無く、手を変え言葉を買え、巧妙に私たちの価値観のなかに忍び寄り、居座ります。そしてその価値観にそぐわない人を犯罪者扱いしだすのです。本当の問題は正しいと思っている内側の偏った価値観にあるとは気がつきません。
このような制限された価値観を持つ人々が、無限からは大きく遠のいていくのです。神の資質である無限、完全、創造から遠のいてしまうのです。本来人の内側に持つ源のパワーを発揮する事は制限者にはできません。
あなたは制限者ですか?それとも無限ですか?
価値観により善悪ジャッジする、極に偏った考えを、バランスさせる事が大切です。
物事は、良くも悪くもなく大切なのは、その間に在ることなのです。対極に振れる事ではありません。私がお伝えしたいのは、イエスでもノーでもないその間に在るものです。
あなたの中の制限、いけないことを一旦すべて手放し、その逆の価値観で中和していくのです。こうでなくても良いんだと。
対極の価値観に180度変わって、また否定していく事ではありません。ジャッジ出来ない、真ん中を知っていくという事です。
自我は善悪のなかでしか生きられないので、常にジャッジしてその対象物を責めていきます。
自分の内側にある自我に気がつくには、まず自分がどんな制限する価値観を持っているのかを知らなければなりません。
じっと内側を観察するのです。
私は、どうしてこれが赦せないんだろうと、何回も自問します。
すると、その奥に潜む、自分が握りしめてしまっていた、「物事はこうでないといけない」という価値観に気がつきます。
それを「こうでなくても良いんだ」と思えるところまで、手放していくのです。
すると、だんだんと自我が声を潜めていきます。そしていつか自我の声がぴたっと止んだときに、無限で完全な真の自分の力が動き出すのです。
制限者は頑張っても、うまくいかなくなる時代
無限者になるためには、自我の沈静化が必要です。
ひたすら自分の内側を見つめて、自分の内側にたまっているエネルギーを開放していくのです。
ストレスの原因はこの内側にたまったエネルギーですから、ストレスの原因は100%外の世界には無く、自分の内側なのです。
このことに例外はありません。宇宙のルールなのです。
制限を手放さないで、価値観武装し、ますます制限を付けていくような事をやっている人や集団、民族には、その偏った価値観をぶち壊すような災害や不幸が降りかかります。
その偏った価値観を均等化するために、自分の源が不幸な出来事という一番インパクトのあることを起こし手放させるのです。
出来事というものは、必ずその方の内側の価値観に起因しているのです。
災害が続いている今だからこそ、内側の浄化が今、一番の日本人の課題でしょう。
我々は、規律やコンプライアンスをもって正さなくても、もう大丈夫なのだという考えを一度取り入れてみるのです。本当は、
私たちは体験する為に人間となった神なのですから。
もとから、完全で完璧で愛そのものですから、したくて分離の世界を体験しに来ているので、より良くなる必要など全く無いのが事実なのです。
ですから、とことんそのままを味わう事。味わい尽くせばやがてその状況は変化していくのです。解決しようと行動しなくとも良いのです。
安心して内なる源に全てを委ねて、制限している価値観を手放しましょう。
私に制限など無いのだ。
故に、我は無限である。
by灯庵