川越は童謡「とうりゃんせ」発祥の神社があります。
三芳野神社(みよしのじんじゃ)です。川越城内の天神曲輪に
位置していました。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬこの子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
私が小さい頃はこの神社は少々薄気味悪く、神社へ通じる道が細く寂しくてどうしてこの歌が詠まれたのかが分かるような神社でした。川越城内なので、用が無く神社に行くことは出来なかったでしょうし、不審者でないか、身分などを詳しくチェックされたのかなと思います。
実は今でも、なぜか少々寂しい感じがする神社なのです。
さてさて、今回は同じ童謡でも、もう1つの歌「かごめかごめ」です。
かごめかごめは不思議な歌ですね。一見何を言っているのか分からないけど、この遊びで遊ばれた人も多いのではないかと思います。
知らない人はいないくらいの有名な歌にも関わらず、意味が分からないのは大変不思議です。
ところが私は、この歌は非常に腑に落ちる内容でして、最近大好きな歌なのです。
童謡「かごめかごめ」に秘められた壮大な意味
歌詞
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀と滑った
後ろの正面だあれ?
カゴメとは篭目、つまり六芒星(ろくぼうせい、)星型六角形(ほしがたろっかくけい)、ヘキサグラムを表します。日本の象徴でもあるらしいのです。
こちらが六芒星です。イスラエルの国旗にも描かれています。
この六芒星、二つの三角が折り重なって出来ています。つまり、二極の世界、善と悪、光と影、上下、男と女、自分と他人がある、この世のことです。
「籠のなかの鳥」とは、二極のこの世の世界に閉じ込められた私達の自我意識ではないかと思うのです。自我意識は善悪の二極思考です。
「いついつ出やる」とはその自我意識が信じている善悪観から、いつ開放されるのだろうかということで、「夜明けの晩に」とは明け方の夜が一番暗いそうですので、つまり一番ぎりぎりまで闇が蔓延した時にかと思います。
「つるとかめがすべった」は二極の統合を意味しているのではないかと、統合とは一元化であり、等価値化のことで、
そして「後ろの正面だあれ」とは、自分の真後ろの人という意味ですので、まさに本当の自分、自我ではなく神我の自分、源のことです。まとめると、
この二極の世界に閉じ込められた私達の自我意識、
からなる善悪観、白黒観はいつ開放されるのか、
それは、闇がぎりぎりまで蔓延した時に
あらゆる二極が一極に統合され、価値観の均等化が起き
やがて私たちの本当の自分、神意識が
内側より出現するだろう
この歌は、日本の覚者がどこかの時点で童謡に自分の思いを託して、詠んだ歌ではないかと思うのです。
たしかに現在、起きていることを見ていると、このように世の中が進んでいるように思われて仕方がない今日この頃です。
いよいよ後ろの正面が出現する日がやってくるかと思うと、ワクワクもするのです。