自分を咎める人の意味
今、目の前に自分を責める人が居るとします。
上から目線で、こき下ろすように、貴方の不満を並べ立て、まくし立ててきます。
それは、明らかに事実に基づかない事や、嘘ばかりなのです。
皆さん、この事態って、どう思われますか?
耐え難い、苦痛を感じる訳
自分が我慢しているのに、私の事情も聞かずに一方的に不満をぶつけられて、非常に理不尽!
そう思われる方が多いかと思います。
しかし、かの昔お釈迦様も弟子に向かってこう言っています。
それは100%貴方の内側の問題である
???
それに対して弟子はこう反応します。
弟子「お釈迦様、それでも1%位は、相手の責任でしょう?」
お釈迦様は答えます。
弟子よ、1%も無いのだ
自分を否定してくる、咎めてくる、怒りをぶつけてくる相手は、100パーセント自分の責任だと釈迦は言っているのです。
衝撃的な釈迦の言葉の訳
では、なぜそうなるのか、その意味を説明しますね。
あなたを否定する人が多い人というのは、あなたが自分を否定している事が多いということなのです。
もともとの持って生まれた自分自身の個性というものを、社会的なルールに照らし合わせて、変えなきゃ駄目なんだと自分らしさを否定しているのです。
つまり、社会的な価値観を良い物だと捉えて、それからはみ出る自分らしさを、強烈に律して自己を否定し続けているのです。
そのことが、目の前の相手に投影されて、相手に自分の質と同じものを発見してしまい、それをいけない、いけないと否定しているのです。
相手を否定しているように見えて、本当は自分の中にある相手と同質なものを咎めているだけなのです。
相手の中に、自分の個性の中の、もっとも忌み嫌っている同質の部分を見せられているから、本当は自分の影法師を強烈に咎めているのです。
ちょうど、ミラーのように鏡に映っている自分の影の部分を見ているのです。
責め裁いてくるお相手は、自分の影法師であり、本当はあなたが自分の何を否定しているのかを教えてくれている鏡の存在なのです。
ですから、そこを変えていけば良いのです。否定を手放していくのです。
この世は、パラドックスの世界
社会的な価値観を疑って、自分らしさを信じて、個性を全否定しなくなったとに、反転がおこります。
相手の個性を「そのままで良い」と思えるようになるのです。
自分の個性を「そのままで、今のままで良い」と思えるようになった人だけが、相手の個性もそのままで良く、何も問題なしとしておけるのです。
自分が赦せるようになった方から、相手が赦せるようになるのです。
人生はパラドックスなのです
するとさらに、反転はおこりあなたを否定するものは、すべてあなたをもう否定しなくなるのです。
この法則を是非とも体験実感して頂きたいのです。
繰り返します
100%あなたの内側の問題なのです。
もう、相手の責任にしないことです。